まとめ |
こんなに大変だったの!ってのを言うつもりは無いんですが、
少しでも同じような方のお役に立てればと思い書きます。
・病気という病気は今までした事ない人。
・4年前に前立腺ガンが発見、月一の注射と飲み薬という治療。
・高齢のため進行も遅く、普段は僕らはガンを意識した事はなし。
・ガンと分かってからは体力の落ち込みは激しかったかも。
・病気の事は先生から本人に言って頂きましたが、よく分からなかったみたい。
・今回の事で大変だったのは単に高齢者が入院したということだけでは無かった。
1.全盲であったこと
2.痴呆症であったこと(今は認知症というらしい)
・目が不自由なのは、僕が生まれる前からなので35年くらい?
・昔だから照明や食事等いろいろが原因かと思う。
・若い頃は一人で医者にいったり、近所に遊びに行ったり。
・母親も働いてたので洗濯物をたたんでくれたりもした。
・年を取ってくるとあまり外出しなくなる。(つーか周りが亡くなり始める・・・)
・3年前にはヘルペスにもなり、布団で寝ているのが多くなる。
※ここからは今年1月からの進行形
・痴呆症は今年の元日の朝4時、僕を呼ぶ声で目が覚めたら「夕飯食ったっけ?」と・・・。
・そのときは「食ったよー、今は朝の4時だよー」「そうかー」という会話であっさり終了し
その日は普通に過ごしたので何とも思わなかったが、翌日にも同じ事が・・・。
・痴呆症だなと思い、正月明けにかかりつけの医者に相談
・とりあえず痴呆症の薬をもらい飲む事にしたが、症状はどんどん進行。
・昼夜逆転、金を取られた、妄想などなど。
・中でも昼夜逆転は困った、こちらもとても生活が出来なくなってくる。
・ケアマネージャーさんと相談し、ショートステイで特養を利用し始める。
・2月頭頃から利用し始めて、本人もいやがることなく何回か行ってた。
・しかしお彼岸に行った先でインフルエンザを貰ったようで1週間後の3/26に入院。
・1週間ほどでインフルエンザ完治、しかし年寄り特有の"誤嚥性肺炎"という肺炎になる。
気管へ食べ物が入ってしまう肺炎とのこと。
・栄養は高カロリー輸液で摂取。
・肺炎が良くなれば胃に穴を開けて流量食という話もあった。
・父親は「するしかないだろ」母親と僕は穴を開ける事には反対。
食べる事が大好きな人がそんな事までして食事を取りたくないと判断したため。
・肺炎が良くなってくると元気が出てきたせいか、
家族を大声で呼んでいたり「メシ持ってこい」と騒ぐ(笑)
・なんとかなだめるが痴呆症なので効果無し。
これが一番疲れた・・・。
・4/4くらいから家族、オヤジの姉弟、親戚で24時間付き添いが10日間ほどあった。
・夜中でも病棟の端まで聞こえるほど五月蠅いので、先生と相談し眠剤を使用する。
・眠剤を使用しぐっすり寝たせいか、五月蠅いのが若干改善。
・状態が良くなったので食事を出しても、また熱が出たりするので食事ストップ。
3回くらいチャレンジしたが、毎回状態が悪くなる。
・食事がでるようになってから、水分補給だけの点滴になったが、
食事がストップしても元の高カロリー輸液にはもどらなかった。
(この時点でもしかして、もうダメだから点滴戻さないのかなと母親と話す)
・口、および点滴から全く栄養をとらなくなってから2週間だが、
とくに衰弱している様子もない。
・連休中も普段の土日と変わらず病院へ。
・5/1は午前中両親が病院へ。
・しばらくいて、「買い物行ってくるね」「うん」の会話有り。
ただ、母親はなんか状態がおかしいと思ったらしい。
※買い物というか、休日当直医の他の病院へかかる予定があったのだが
看護師さんが居たため「病院行ってきます」とは言いづらかったので
「買い物に行く」と言った。
・病院かかって昼飯買って家に帰ってきたら「様子がおかしいので来て」と電話。
さっき喋ってから1時間くらい。
・病室行くと血圧が低く、呼吸がたまに止まる。
・だんだん血圧下がり、無呼吸の時間も長くなる。
・そのうち、呼吸しなくなるが心臓は動いている。
・血圧測れなくなる、胸に耳を当てるが鼓動が感じられないし、 顔色がヘン。
・と思ったら、看護師駆けつける。(14時40分くらい)
無線式の心電図が付いてるので、ナースステーションで心停止って分かった。
・しばらくして先生が来る。実は他にも危ない人が居た(笑)
・脈とか、瞳孔とか確認してご臨終ですと・・・。
時計見て「15時にしておきましょうか」と。
・・・しておきましょうかってなんだよオイ(笑)
と、まあこんな感じです。
参考になりませんねぇ(ーー;)